どくしょ絵日記

面白かった本を紹介します(お絵かき付き)

Moonwalking with Einstein

科学ライターの著者が、ひょんなことから全米記憶力コンテストに参加することになった。そもそも記憶力は、生まれつきではなく、鍛えられる力なのだろうか。今日われわれは、紙や電子メディアに気軽にメモを残すことで、安心して忘れることができる。記録が手軽なものでなかった昔、世界=覚えていることの全てだった頃、人々にとって世界はどのように映っていたのだろうか。

いくつかの疑問を胸に、自身をトレーニングし、記憶の多様な側面を学ぶ旅が始まった。体験型ルポタージュの好著。

Moonwalking with Einstein: The Art and Science of Remembering Everything

Moonwalking with Einstein: The Art and Science of Remembering Everything

 

  

物忘れが激しい。何かを検索しようとしてGoogleのページへ行った時には、何を検索しようとしていたのかが思い出せない。

それはまだいいほうだ。風呂のエピソードはもう少し重度な感じがする。まず、お風呂に入ってる状況を想像してほしい。そこでハタと行き止まる。さて、私は既に体を洗ったのだっけ、それともまだこれからだろうか。そこで、自分の体を触ってみる。「けっこう、つるつるしてるから、これは体を洗ったに違いない。きっとそうだ」といった推察に頼ることになる。

これはもう過去の記憶ではなく、現在からの推論である。

 

そんなわけで、自分の記憶に一抹の不安がよぎる私です。記憶力の回復を期待しつつ、そして記憶にまつわる知の全般について知りたくこの本を手にとった次第です。

 

英語で読みましたが、邦訳も出ています。

 ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由

 題名がちょっと俗っぽいハウツー本のようになっていて、そこはいま一つなのですが。また、TEDに著者のスピーチが出てまして、そちらを見てみて、自分にとって面白そうか試してみるのも手です。

ちなみに、原著はアメリカで好評を博したようで、映画化が決定したとのことです。

 

体験型ルポは、自らが試し、結果に戸惑い、ときに驚いてというライブ感が魅力ですが、この本はそれに加えて、出会った人々の人生の断片を切り取った掌編小説のようでもあり、関連文献を調査して学んだレビュー報告のようでもあり、多彩な切り口から記憶の全体像へと迫ろうとしている。

 

 記憶の鍵は、つまるところ「Bakerからbakerへ」という標語にまとめられそうだ。

会話の中でベイカーさん(Baker)という名前を出してみて、しばらくしてから相手が名前を覚えているか尋ねてみると、けっこうな割合の人が失念している。一方で、パン屋さん(baker)と言っておいて、記憶をテストすると、はるかに高い割合で記憶に残っている。

何が違いをもたらしているのだろうか?単語の長さも、発音も、綴づりも同じであり(大文字・小文字の違いをのぞいて)、情報量は等しいはずなのに。

ベイカーさんといったときに、その人物像は不定でイメージが難しい。しかし、パン屋と聞いたときには、さまざまなイメージ・五感と結びついている。お店にパンがあり、恐らく白い帽子をかぶっていて、パンを焼いた時のいい匂いもしているかもしれない。五感・特にイメージと共起する言葉は、それらがとっかかりになって、記憶しやすいようなのだ。

 

あたりまえの原則だが、その含意は広い。

例えば、共感覚者に異常な記憶力を持つ人がいることが理解できる。イメージが伴っているからだ(数字の27を見ると、とげとげしたテクスチャと茶色が見えるとか)。

共感覚者のばあいはイメージの共起が勝手に起こってしまうが、通常の人でもそれを自覚的に行えば記憶に役立てることが可能だ。それが世で記憶術と呼ばれているものに相当する。

古代に目を向ければ、書いて記憶を外部化するという習慣はなかった。すべてを覚えなければならない。記録に頼らず、学問や文学を開花させたのは驚異に思えるが、当時記憶術が広く用いられていたことが紹介される。物事を覚えて頭に入れることは、知識人に期待される当然の能力として価値を置かれていたことがわかる。暗記への軽蔑という考えは無かった。

また、古代ギリシャと言えば、ホメロスの口承文学を思い浮かべる人も多いだろう。これらの作品は、「バラ色の指をした夜明け(rosy fingered dawn)」といった類の不思議な比喩表現で溢れていることが知られている。これらの奇妙な定型表現については、記憶に頼った口承において、イメージを結びつけて記憶を軽減するため、と明快な仮説が与えられる。

OKプラトーの話も心に残った。記憶コンテストで優勝するには、「ちょっと得意」では足りない。「ものすごく得意」でなければならない。サンデープレイヤーは、アスリートに変貌しなければならない。練習をすれば上達するが、しばらくすると成長曲線は飽和して、横ばいになってしまう。この平地(OKプラトー)をどうやって超えていくか。著者の調査と実地訓練は、地に足がついている。

一方、記憶術の悪用とおぼしきケースにも著者は触れている。記憶術を用いたコンテストの競技者であり、トレーニングコースのインストラクターだった人物が、後年「共感覚者のサヴァン」としてメディアに登場し、素晴らしい記憶力を披露して脚光を浴びる。バロン・コーエン(発達心理学)、ラマチャンドラン(神経科医)らそうそうたる学者がだまされるさまは、この分野のあやうさも感じさせる。

 

本書を通して感じられるのは「内部記憶から外部記憶へ」という歴史の大きな流れだ。

大事なものは外部に在るから私はもう覚えなくてもよいという現況は、一つ一つに注意を払ってイメージして内面化するという作法をすたれさせてゆく。世界の事物を次々とザッピングして通り過ぎてゆくという態度へと社会を傾けるが、そのような現代を批判的に振り返るきっかけを与えてくれる。

ちなみに、表題の「アインシュタインムーンウォーク」は、著者にとってはトランプのスペードの4、ハートのキング、ダイヤの3の3枚組だそうです。

 

ムーウォークするアインシュタイン。こんな感じか

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